TAKAの家の記録

母の里は北海道。母方の祖父母は、いわゆる開拓民で徳島県板野郡出身。父親の里は鳥取県。日野郡日南町で、その父母(=TAKAから見たら祖父母)は、入り婿・入り嫁で現在の姓に。祖父は、広島県東城町内堀(現庄原市)の出身。祖母は、多里のヤマネさんの娘。
この記録を残すのは、TAKAの家のことがわからなくなるのを防ぐためです。
父親は、クローム鉄鉱の若松鉱山の飯場で生まれ、その後、多里の街中のアシオさんの裏あたりに生活。祖父が郵便配達をしていた。祖父母がヨシばあさんのところへ養子養女ではいり、現在の姓となった。
いえね、奥さんが入院中につき、血縁者だけの家の中で話すことと言ったら、こんなことになるのです。
父親が北海道に渡ったのは、昭和16年ころ。母親が生まれたのは、北海道北見らしい。その後、江部乙、富内と移り、母の父親が開拓地として旧穂別町福山のガンビに8丁ほどの土地を手に入れ生活をしていたとのこと。
父親は、クローム鉄鉱の関係で、八田鉱山の所長をしていた、多里出身のホッキョウさんに呼ばれ、現地に。クロムの含有量が、多里の若松鉱山が40%くらいにくらべ、八田鉱山は60%くらいで、「色が違う」「黒い」と今になって教えてくれる父親の話です。灰谷のササノさんには北海道でずいぶんおせわになったとか。父親が仕事をしていたのは、系列のガンビの鉱山(クローム鉄鉱)とのこと。
昭和17年、父親と母親が結婚。1945年の終戦前に日南町多里帰り生活。1953年にTAKAが生まれました(長野県)。
父親が、福井県に鉱山調査に行っていたというのは、戦争前のはなし。新潟県に鉱山調査に行ったのは、TAKAが生まれるころで長野県がベースになっていたころのこと(日鉄、炭鉱?)があったころのこと。
今まで知らなかったことがすこしつながりました。