昭和29年の地図と比べたら(岡山市東区西大寺)

昨日、政田民俗資料館をお訪ねし、同館の安原さんに干拓に関する資料、地図の写しなどを頂戴しました。家に帰って眺めてみると、現在の日本エクスラン西大寺工場の場所は、吉井川西岸の河原状の場所を埋め立てたりして造成したのかと思いました。
江戸時代の干拓に関係し、元々の土地がどのあたりまであったのか調べているうち、同工場南端付近にある常夜灯のあたりがそうであろう、と目星をつけたのですが、不明状態に逆戻りです。
政田民俗資料館でいただいた昭和29年地図のうち、現・日本エクスラン西大寺付近を拡大したものです。〒マークを黒色で書き加えました。現在の西大寺金岡郵便局の位置です(同局は以前数百メートル南に所在した)。

西大寺金岡郵便局の東に墓地があり、その東に南北の道があります。現在、その道はエクスラン敷地につきあたったところで途切れ、西方向へ進むようになります。昭和29年の地図だとそのまま南へ道はのび、十番の常夜灯、つまり堤防沿いに達しているようです。地図を見ると、堤防に沿った道のように思えます。
下の図は、平成10年前後の地図が黒色で、上の図よりややひろい地域(赤色)どうしを重ねた状態です。

西大寺で生まれすでに高齢の方であれば、いうまでもないことなどなどが、よそもののTAKAにとってはまことに不思議の山のように見えるこのごろです。さて、どのあたりが、干拓前の土地の南限だったんでしょう。
>>十番の常夜灯(岡山市東区西大寺)