源平合戦と三角点(吉井川河口?)

先だって紹介した「西大寺物語」11ページに次のような記述があります。

西大寺外波千人塚
岡山藩が幕末のころこの地に台場を築いた時、塚の中から兜や鉢や刀剣などが出土したのを祀った。伝承によれば、屋島の戦いの時、平氏の戦死者の死体が多数外波(そとわ)の浜に漂着したのを山頂に葬り、千人塚と名付けたのがそのはじまりという。

手前の「千人塚」その先を見ると、白い棒のそばに「三角点」があります。

二枚目の写真は、三角点から千人塚を見た状態です。

三枚目は、標柱の文字がポイントです。

画面左手はテイカのフェンスです。「地先」ですから、番地のないところという意味ですね。ここが「河口」起算点とは書いてありませんでした。三角点にも特別な案内はありませんでした。
さて、吉井川東岸はどこから始まっているんでしょうね。
それ以上に今回楽しかったのは、吉井川河口付近の東岸はテイカの敷地で行く道が無いと思いこんでいたのが、まったくの見込み違いであったということです。護岸が少し窪んでいる場所や、川のほうに傾斜している場所など、安全は十分ではありませんが、この写真の場所に行くことができるのがわかりました。

より大きな地図で 吉井川東岸の河口付近 を表示
Wikipedia >>吉井川