直島「護王神社」に「備前国」の石柱

香川県直島にある神社のひとつ「護王神社」。家プロジェクトでは、透明な神殿への階段が印象的な杉本氏の作品があります。周囲を歩いていると、写真のような石柱がありました。

良く見える方の右側は「備前国日生流瀬中」、左側は「備前国呼松流瀬中」と刻んであります。右端の低い石柱には「田之浦」(倉敷市)も読み取れます。
最後の「中」は、「社中」「講中」などグループを現わすような意味だろうと思います。「流瀬」は、「流瀬網漁法」のことでしょうか。そして、「呼松」は倉敷市、「日生」は備前市ということだろうと思います。直島と岡山は縁が深かったのだと思います。
ホームページ「呼松今昔物語」には、「鰆(さわら)の流瀬網」としてとりあげられるなどしており、なにか関連があるかと想像…。
おそらく、日生も探せば関連の情報が見つかるかもしれません。
Wikipediaから以下引用:直島

直島は高松藩の預かり地として幕末を迎える。1868年に土佐藩預かり地の後、倉敷県(現在の岡山県)に移管され、1871年、丸亀県の管轄になりのちに香川県の一部となった。