九蟠への道(岡山市東区西大寺金岡)


より大きな地図で 九蟠への道 を表示
上記地図の位置に立って、およそ北方向を見た写真です。右側の岸の上に少し見える石組は古いものだとのこと。

用水を越え右上の土手に至る坂道は、後になってつけたもので、昔はなかったそうです。
さらに、北へ数十メートル。現在は宅地の一部のようですが、この水路脇が道路で、右上の堤防道へ階段がついていたとのこと。

現在も、石造りのしっかりした階段が確認できます。
色々ご指導いただいている今村守さんが「連れていってやる」ということで、この水路そばの小林啓作さんをお訪ねしました。師弟のご関係とのこと。小林さんに、「開」のことをお尋ねしたら、「穂崎屋の分家になる」「自分で12代目」「金田天満宮の氏子」ということで、産業道路より東側(=金岡)であっても、御自宅周辺は、もともと「金岡新田」(≒現・金田)にふくまれる場所であることを教えて下さいました。これは、山口さんとも同じ説明となります。
一枚目の写真の水路を越える橋あたりが、「沖新田東西之図」に色分けされた「沖新田」のうち「金岡平源開」と「金岡新田」の間に、時計の針で言うと1時から7時の方向へ水路沿いに細長く示された土地の北限あたりではないかと想像します。現在の、九蟠(≒沖新田の一部)の北東端は少し南西にある78番樋門付近です。「中用水」への主要用水路は78番樋門であることは当時から変わりないでしょうから、「沖新田東西之図」の塗り分けが正確だとすると、沖新田のうちで「金岡」になったところがあることになりそうです。逆に「金岡平源開」は九蟠にふくまれ、「金岡新田」の「開」はその一部が現在「金岡」にふくまれているということになりそうです。
>>沖新田東西之図をイラスト化したもの(TAKA作成)