沖新田88か所巡りのうち68番(岡山市東区西大寺)


より大きな地図で 沖新田88ヵ所めぐりのうち68番:九蟠への道 を表示
西大寺市の金岡のさらに小字になるのでしょうか「開」(ひらき)にお住まいの山口資郎さんにお話を伺いました。大正13年のお生まれだそうです。
「開は金岡新田にふくまれる」「明治中頃に、現在の金岡の開と金田の開に分かれた」「南はヘイゲン(平原/平源)と言って綿をつくっていた地域が多かった」「もともとの土地の南限は68番のところだろう」「68番から南の土手筋は両側が松並木だった」とのことでした。上の図のしるしがあるところが68番です。
西大寺市史」「西大寺町史」「岡山市の地名」などの関係ありそうなところを読みましたが「開」に関する記述を見つけることはできませんでした。岡山市立図書館所蔵の「沖新田東西之図」には「金岡平源開」の文字が見えます。また、石原工務店ホームページのうち「金岡情報局」NO.2に山口さんが登場しています。
さて、もともとの「金岡の南限」はどこなんでしょう。なぞはますます深まりました。

右奥に進む道が、九蟠と金岡の境だそうです。左側になる北が金岡、南が九蟠となります。すると、この場所が「金岡平源開」の南限ということになりそうです。さて正解かどうか。

オカモト製作所は「金岡」で、道路より右手(南)は「九蟠」と教えていただきました。
6/28追記
オカモト製作所は、現在の住所は、九蟠にふくまれています。ネット検索で住所がわかりました。「九蟠」は北進?