明治または大正期の西大寺の地図、ご存じないでしょうか

記事中敬称略
近所の方から、画像のような大正期の地図(画像は、タイトル、制作年を部分的に切り抜き)を示され、「誰か西大寺の地図を持ってないか尋ねてほしい」とのことで依頼されました。

画像上半分は、「岡山県上道郡芳野村大字中野全図」で、図は大正3年(1914年)12月現在、作成者は、山本栄造(中野416番地)と記述がありました。地番が書き込まれています。1910年(明治43年)7月31日に設立された西大寺軌道の路線も記入されています。
画像下半分は、「芳野村大字中野河溝道路見取図」で、図は明治19(1886年)年9月現在、大正7年(1918年)7月再写となっています。
これらの地図は、現在の西大寺の街からみると、およそ両備バス西大寺バスセンタより西に位置する西大寺の芳野村分だそうで、いわゆる「西大寺」街中のものが見つからないのだそうです。
次の画像は、文書資料です。

この上の画像は、1枚目画像の「芳野村大字中野河溝道路見取図」基礎となった「取調表」です。県知事・千坂高雅あてに、戸長・石原保次、地押総代・時岡貞造、同・藤原儀八、同・高島辰治、同・青江治四郎が連名で「右取調相違無御座候也」として提出しているのがわかります。
旧芳野村分は全図やその基礎となった資料が明らかですが、いわゆる西大寺のものがないということだそうです。知事あてに提出されていることから、「全県の地図があるはずだが」とも。
どなたか、関連情報をご存知ではないでしょうか。コメントでお知らせください。よろしくお願いします。