原子力の村・東海村長が脱原発を朝礼で語る

原子力発電というと、茨城県東海村のことが記憶にあります。最初に原子力の火がともったところとして、そして1999年9月30日に東海村JCO臨界事故が発生したところとして記憶にあります。その東海村の村長が、先月30日の朝礼で脱原発などについて語っていました。新聞からの引用です。
茨城新聞 2011年10月1日(土)


原発を考えるインタビュー 村上東海村長 極めて内省に欠ける国

  • 2度の原子力事故を目の当たりにして思うことは。その教訓とは何か。

JCO臨界事故も慢心が招いたもので、この国はいつまでも反省しないという印象だ。利益を追求するあまり、原発推進を「国策だ」と言い続け、安全神話を作るなど、極めて内省に欠ける国だということ。JCO臨界事故の時も思ったが、今回も案の定だ。何にも学んでいない。福島第1原発事故の初期対応を見ても、何という国だと思った。 >> 記事

朝日新聞 2011年10月01日

東海村長 改めて「脱原発」

東海村で村民ら600人以上が被曝(ひ・ばく)し作業員2人が死亡した核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所臨界事故から30日で12年。村上達也村長は村役場で臨時朝礼を開いた。福島第一原発の事故後、「脱原発」の姿勢を強めている村長は「半径30キロ圏に100万人も住む地域に原発があっていいのか」「人に冷たく無能な国は原発など持つべきでない」などと厳しく批判した。 >> 記事

東京新聞 茨城版 2011年10月1日


「臨界事故の反省なく…」 JCO事故12年 東海村長が政府批判

東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で一九九九年、作業員二人が死亡した国内初の臨界事故から十二年となる三十日、同村役場で毎年恒例の朝礼があり、百人以上の職員が黙とうをささげた。

 村上達也村長は訓話で、「もう十二年前のような経験はないと思っていたが、最悪の福島第一原発事故が起きた。人に冷たく無能な国で原発を持つべきではない」と発言。「原子力に向き合う姿勢を正し、金のために魂を売ってはならない」と力を込めた。>> 記事

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