水路にはみ出た五角柱(瀬戸内市邑久町)


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瀬戸内市邑久町北島に、水路にはみ出た位置に設置されている五角柱地神があります。この地神様は、天照大神を正面に見る位置に人間が立てない、そういうスペースが無い、というのが特徴です。また、飾りも少し変っているように見えました。頂部はやや高めの錐体、底部は五角形。左は大己貴命、右は稲倉魂命でした。およそ北東を向くと天照大神を正面に見るようになります。

「北島角店」を営んでおられる河本さん方がこのお守りをしておられるとお聞きし、教えていただきました。それによると、仏教系でお寺さんに拝んでいただいている。社日の行事はなく、お盆過ぎにお祈りする。「境戸」(さかいど)に建てたもので、部落に5か所ある。観音堂が400年の歴史があるので(五角柱にも)同様の歴史があると考える、などとのことでした。
TAKAはここで初めて、「境戸」ということばに出会いました。五角柱を調べ始めたきっかけが、ひょっとして集落境と何らかの関係があるのではないか、それによって九蟠の新しい土地と、それまでのいわゆる金岡南限を探るヒントになるのではないかと思ってのことでした。これまで、境界に関するお話をうかがうことがなかっただけに、ケッコウうれしいお話でした。
ただし、河本さんがおっしゃる「五角柱地神400年」にはにわかに同意しがたいところがあります。「岡山の地神様」(正富博行著・吉備人出版・2001年)によると、岡山県内で設置年がはっきりしている最古のものは、「天明7年」(1787年・吉備中央町内)のようです。TAKAがこれまで見て回った中でも古いと思われるものは、豊島石らしいものが多く、同書によると吉井川東岸の五角柱は文化文政期(1804〜1829年)のものが古いものとして紹介されています。
現在の五角柱の先代が「境戸」として何らかの形があったのかもしれません。さて、400年をどのように理解するか…宿題の一つです。