エネルギーと田舎

何年か前、田舎で「山んなかだけぇ何もないがぁ」と観光客を呼べるわけでもなく、産業が勃興するわけでもない現状をお聞きしたことがあります。それに、どうこたえるのが自分の気持ちに合致するか、考えておりました。ええ、うすぼんやりとですけど…。
植林した針葉樹の林、標高差のある山地、あ〜そのままをまず受け止めるのが素直だな〜と最近思いました。林が育ち大きくなっているということは、太陽と土からのエネルギーが木となって蓄えられているのだと。標高差は、まさにエネルギーが発生しやすい場所なんだと。
いえね、植林がとっても盛んな鳥取県、あちらをみても、こちらをみても、緑の針葉樹が目に飛び込んできます。よく、こんな高いところ、急峻なところまで植林したものだと。当時は、おそらく住宅とか家具とか、まあ、そういったものが着地点だったのかと思います。しかし、安い外材に押され国産材は…あまり芳しくありません。しかし、地球の恵みを受け、エネルギーを蓄えて育った結果物です。エネルギーの塊としてみれば、なんと豊かな中国山地かと、思うのです。
標高差のある山地、自然環境が厳しいことの要素のひとつです。しかし、いったん降った雨が、流れとなって移動するエネルギーは大きいのではないかと思えます。落差があればそれだけ、落下エネルギーが得られやすいということかと。水系に悪影響が出ない程度のミニやマイクロの水力発電は、こういう土地にこそ適しているのではないかと思えます。小規模分散であれば、一時に大きなダメージを受けにくいという、利点も考えられます。効率的にエネルギーを得るという点では多少の問題があるのでしょうが、現にあるエネルギー源を利用してないというのは、いかにももったいないように思えます。同様に、水道水や下水道の流れも発電に利用できるかも…とも思ったりします。
大規模開発より、小規模でも身近なところにあれば送電ロスも少なそうだし…などとおもうのですた〜。