叔父の写真

母親の弟は海軍の潜水艦乗務員でした。イ44号で沖縄東方の深い海に沈んだまま、遺骨などはありません。
本日母親が、「第一期高等科潜航術電機練習生 第五十二分隊第一班」と叔父が自書した記録のある写真を出して、複写してほしいと。同期と思われる25名全員が写っているので、青森県大湊(現在の自衛隊基地?)で揃って撮ったものではないかと想像しています。(2017年6月22日追記:軍歴記録によると、大湊では海軍航空隊所属だったので、記事を修正しました。なお、1943年6月に「潜水学校・第48期潜水術・電機」とあります)
裏には全員の名前が書いてありました。亡くなってすでに66年が経過。母親が持っている写真を公開しても怒る人はいないと思うので、記録の一端として下に掲載します。

ネット上には、イ44の記録として次のような記事がありました。一部抜粋して紹介します。

海軍大尉 小灘利春 >> 多々良隊 伊号第四十四潜水艦の戦闘

昭和二十年…第六艦隊は三月二七日、伊四四潜、伊四七潜、伊五六潜、伊五八潜の四隻を以て「回天特別攻撃隊多々良隊」を編成し、沖縄周辺の敵攻略部隊に対し搭載回天による攻撃を命じた。
各艦は準備出来次第、二八日より次々とに出撃していった…伊号第四四潜水艦は回天四基を搭載して四月三日、大津島基地を出撃して沖縄海域を目指した。
艦長には前回の硫黄島作戦千早隊に参加した川口源兵衛大尉に代わって増沢清司少佐が着任、搭乗員は前回と同じ土井秀夫中尉(海軍兵学校七二期、大阪府)、亥角春彦少尉(海軍兵科四期予備士官、東京大学京都府)、館脇幸治少尉(同、中央大学福島県)、菅原彦五・二等飛行兵曹(第十三期甲種飛行予科練習生出身下士官宮城県)であった。
交通筒はまだ、土井艇と亥角艇の二基にしか装備されていなかった。
…伊四四潜は四月三日に出撃してのち連絡がなかった。
…のち二一日、内地帰投命令を出したが、伊四四潜は帰還しなかった。沖縄戦に出撃した回天搭載潜水艦四隻のうち、伊四四着と伊五六潜の二隻が未帰還となった。
爆雷攻撃で損傷を受け、浮上砲戦を行って沈没し、乗員一名が収容された伊八潜の場合は状況がはっきりしているが、それ以外の戦没潜水艦については、戦闘の日時、場所に対応する艦名を立証できる根拠が乏しいため、戦記によって様々に食い違っている。
戦後米国側が作成した資料は大部分が四月二九日の空母「ツラギ」搭載機との交戦により沈没した潜水艦を伊四四潜としており、日本側の一部戦記もこれを採っている。
しかし日本側の公式見解では、これは呂号第四六潜水艦である。
防衛庁戦史室および「日本海軍潜水艦史」が日米双方の各種資料を調査分析した上、採った結論は四月十八日に沖縄東方洋上で駆逐艦群と長時間の交戦ののち沈没した潜水艦を伊四四潜であるとしている。
…公的な資料は沈没地点を北緯二六度四二分、東経一三〇度三八分としているが、これは同駆逐艦が急行を指示された目標地点を誤って採ったものであろう。この交戦は四月十七日二三三五の最初の爆雷投下に始まり、第五八機動部隊の艦隊型駆逐艦計四隻が交代投下して、十八日一三一三の最終爆雷投下まで続いた。
…米側が伊四四潜との交戦と記録している四月二九日の対潜水艦攻撃は、護衛空母「ツラギ」から発艦した「グラマン・アヴェンジャー」雷撃機によるものである。哨戒飛行中に浮上潜水艦を探知した雷撃桟は急接近して航空爆雷を投下し、潜没しつつある潜水艦に命中した。雷撃機は続けて聴音追尾魚雷を投下し、命中爆発する音響を聞いた。地点は北緯二四度一五分、東経一三一度一六分。沖ノ大東島周辺の南東に当たり沖縄本島の南東二二〇浬、沖縄とグアムを結ぶ線上にある。日本側戦史では呂四六潜が沈没したとする交戦である。

次のような記録もありました。
伊44

  • 伊15級潜水艦(25/26)
  • 1941戦時建造(○急)計画乙型改1(一等)潜水艦第374号艦として42-3臨時軍事費より横須賀工廠で42.6/11起工43.2/5伊号第44潜水艦と命名され横須賀鎮守府籍と仮定3/5進水し横須賀鎮守府籍11/12艤装員事務所を設置44.1/31横田(現長谷川)稔(兵51)中佐の指揮下に竣工し横須賀鎮守府
  • 4/28第6艦隊第15潜水隊に編入
  • 5/15呉出港後ニュー・アイルランド島北東方面へ進出中/27爆雷攻撃により損傷
  • 6/15呉入港後修理
  • 9/16艦長川口源兵衛(兵66)大尉
  • 10/18.0900玄作戦参加を予定中、捷1号作戦の発令により呉出港後レイテ湾へ航行中/19バシー海峡で自動懸吊装置用タンクの爆発事故により3名が死亡、片舷エンジン、ジャイロ・コンパスが故障したため反転/22呉入港後修理と人間魚雷回天搭載艦への改造工事を実施
  • 45伊368、370とともに回天特攻千早隊を編成
  • 2/21or2(日本潜水艦戦史、キャプテン源兵衛の明日)回天4基を搭載して大津島出港/25-6硫黄島南西48nmでアメリカ艦艇3隻の制圧を受けて47時間にわたる潜航の末/27夕刻、浮上/28硫黄島東方でアメリ護衛空母より発艦したアヴェンジャー雷撃機の攻撃により硫黄島への接近は不可能と判断し反転退避中、沖ノ大東島付近に出現したアメリカ第58任務部隊要撃に移動中
  • 3/6作戦中止/11呉入港/17艦長増沢清司少佐(兵65)
  • 4/3大津島出港/4第15潜水隊、回天特別攻撃隊多々良隊として増沢艦長の指揮下に呉出港後沖縄方面で作戦予定中、消息不明/17.2320沖縄東方海面でアメリカ第38任務部隊第4群第47水雷戦隊所属の駆逐艦(DD532)ヒーアマンがレーダー探知.2355ヒーアマンの爆雷攻撃開始後第53水雷戦隊駆逐艦(DD687)ウールマンが45分間に2回の爆雷攻撃を実施/18.0130-0743ヒーアマンと第47水雷隊司令駆逐艦(DD534)マッコードが教導で爆雷攻撃.0851-7軽空母(CVL29)バターン搭載のアヴェンジャー雷撃機2機が爆撃.1030第54水雷戦隊駆逐艦(DD691)マーツ、(730)コレットの共同攻撃により同日午後、南大東島北北西(26゚42'N/130゚38'E)で沈没し士官9名を含む乗員130名(回天搭乗員、整備員各4名を含む)全員が死亡
  • 5/2沖縄方面で沈没と認定6/10除籍.